公開日 2020年08月05日
笠松町には、たくさんの文化財があります。ここでは、笠松町でめぐることのできる文化財や史跡をテーマごとにまとめ、町歩きに最適なコースにしました。
下記のリンクをクリックすると、Googleマップで地図が表示されます。笠松探訪のお供に、ぜひご活用ください。
※時間、距離はあくまで目安です。 ※「笠松ナビ」は運用を終了しています。
1.笠松湊と鮎鮨街道(時間:25分 距離2km)
笠松は、かつて様々な物資と人を運ぶ木曽川水運の中継地点として大きく栄えていました。現在でも、渡船場の名残として石畳を見ることができます。鮎鮨街道は、江戸時代に尾張藩が徳川将軍家に鮎鮨を献上する際に通った街道です。岐阜の御鮨元から岐阜街道、美濃路、東海道を経由して約5日で運ばれたといいます。このとき岐阜問屋から鮎鮨が継ぎ送られてきていたのが笠松問屋でした。このコースでは、湊と街道、そしてその周囲に残る史跡をたどります。
(巡回町民バス西町バス停→名古屋道・伊勢道の道標→木曽川笠松渡船場跡〈石畳〉→木戸跡→芭蕉のむくげ塚〈蓮国寺〉→美濃郡代笠松陣屋・県庁跡→八幡神社→鮎鮨街道・笠松問屋跡→名鉄笠松駅)
2.川並奉行と寺社(時間:50分 距離:3.8km)
かつて尾張藩は円城寺に川並奉行を置き、木曽川を通る船や積荷を取り締まりました。奉行館跡や御番所跡、奉行の墓などが川並奉行のおもかげを偲ばせます。また、円城寺には「芭蕉踊り」が伝わっています。芭蕉踊りは、江戸時代から行われている雨乞い踊りで、岐阜県重要無形民俗文化財にも指定されています。このコースでは、川並奉行ゆかりの地と、芭蕉踊り発祥の地である富士神社や、現在芭蕉踊りが行われている秋葉神社など芭蕉踊りゆかりの寺社を巡ります。
(巡回町民バス総合会館バス停→芭蕉踊りゆかりの地~おふじの宮~→お成り道→円城寺の芭蕉踊り〈秋葉神社〉→川並奉行の墓→専養寺のイチョウ→川並奉行御番所跡→川の安全を祈った金毘羅信仰→名鉄笠松駅)
3.輪中と森蘭丸の里(時間:40分 距離:3.2km)
輪中とは、水害から家や田畑を守るためにその周囲を堤防で囲んだ地域のことを言います。この地域は木曽川と境川に挟まれており、松枝輪中と呼ばれていました。このコースには、畑繋堤や酒井七左衛門の墓などの史跡があり、古くから水害に悩まされていた輪中の歴史を知ることができます。また、松枝には森越後森可成の居城「蓮台城」があったと言われています。そのほか、織田信長と斎藤道三が別れの儀を行ったという白鬚神社もあります。
(巡回町民バス下門間バス停→畑繋提の恩人酒井七左衛門等の墓〈慈眼寺〉→五輪塔〈慈眼寺〉→北門間の地蔵様→御社古神跡→森越後守居城跡→道三・信長両将別れの地〈白鬚神社〉→東流廃寺〈蓮台寺〉・塔礎石〈白鬚神社〉→巡回町民バス田代バス停)
4.猿尾が残る合戦場(時間:40分 距離3.4km)
木曽川沿いには、形が猿の尾に似ていることから猿尾と呼ばれた堤防の跡が多く残っています。猿尾は江戸時代から明治時代にかけて築かれました。また、木曽川周辺では古くから度々合戦が行われました。享禄3年(1530)に松波庄五郎(後の斎藤道三)と野武士による松山合戦が、慶長5年(1600)には関ヶ原合戦の前哨戦とも言われる米野の戦いがありました。木曽川沿いを歩き、猿尾堤や堤の切れ跡、渡船場、そして合戦場といった、木曽川と人々の関わりを感じることができるコースです。
(巡回町民バス米野高瀬バス停→米野の戦い跡〈米野墓地内〉→江川の舟つき場と猿尾→トンボ天国〈無動寺港跡・木曽川河跡湖〉→光徳寺の梵鐘→土岐塚→川原からござった地蔵様→巡回町民バス総合会館バス停)
5.大イチョウと寺社(時間:30分 距離2.4km)
笠松の多くの寺社にはイチョウが植えられています。イチョウの実(ぎんなん)は栄養価が高く、咳止めなどの効能が古くから知られていました。また「火伏せのイチョウ」と言われるように耐火性が高く、防火樹としての役割も果たしています。笠松のイチョウの中には樹齢300~400年ともいわれているものもあり、このコースでは様々な寺社のイチョウと、そこに残る史跡をたどります。
(巡回町民バスこども館前バス停→須賀多堤跡→盛泉寺のイチョウ→産霊神社のイチョウ→八幡神社→魂生大明神のイチョウ→名鉄笠松駅)
笠松の文化財めぐりチラシ
PDFファイルをご覧になるには
アドビリーダーが必要です。無償で提供されていますので、ダウンロードしてご使用ください。
文化遺産カード
また、歴史未来館では文化遺産カードを配布しています。
Googleコースには、該当箇所も示しています。町歩きとともにお楽しみください。