古文書

境川築提嘆願書(弘化2年7月)高嶋家文書

 

   嘆願書 嘆願書

 

   弘化2年(1845)徳田新田笠松村役人連名で境川の掛廻堤築堤につき、

   加納との争論となっている。出水のたびに難渋しており、解決を願い出た文書。

                                   

 

庭訓往来

 

   庭訓往来

 

   往来ものと言われる手習い教科書

 

 

南舟原村絵図

 

   南舟原村絵図

 

   現在の中門間の絵図。文化7年(1810)のもの。

 

高札

資料番号1785「五榜の掲示」

 

   太政官令 第二札

            「第一札」                    「第二札」

  

   第三札 第五札

            「第三札」                    「第五札」

 

   禁止事項を板に書き、村々の寺社等に立てた。資料は笠松町北及村に立てられたもの。

   慶応4年3月15日、明治政府は民衆に対して禁止令を出した。

 

鮎鮨宿次文書

宿次文書

   

   「覚」三荷2

 

   一宮問屋から「三荷を受け取り、清須宿へ送った」と笠松問屋へ報告した覚書。

 

 

「天保3年御鮨役人足帳」(表紙)

 

   「天保3年御鮨役人足帳」表紙

 

   尾張藩は旧暦5月から8月にかけて年10回程度、江戸の将軍家に鮎鮨を献上した。

   笠松から一宮へ荷を運んだ人足の名前が書かれている。

 

 

「天保13年5月鮎鮨御三荷継立帳」(表紙)

 

   「天保13年5月鮎鮨御三荷継立帳」

   

   問屋場を経由する文書を書き写した文書。継ぎ立てのシステムが分かる。

 

 

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