公開日 2017年02月01日
古文書
境川築提嘆願書(弘化2年7月)高嶋家文書
弘化2年(1845)徳田新田笠松村役人連名で境川の掛廻堤築堤につき、
加納との争論となっている。出水のたびに難渋しており、解決を願い出た文書。
庭訓往来
往来ものと言われる手習い教科書
南舟原村絵図
現在の中門間の絵図。文化7年(1810)のもの。
高札
資料番号1785「五榜の掲示」
「第一札」 「第二札」
「第三札」 「第五札」
禁止事項を板に書き、村々の寺社等に立てた。資料は笠松町北及村に立てられたもの。
慶応4年3月15日、明治政府は民衆に対して禁止令を出した。
鮎鮨宿次文書
宿次文書
一宮問屋から「三荷を受け取り、清須宿へ送った」と笠松問屋へ報告した覚書。
「天保3年御鮨役人足帳」(表紙)
尾張藩は旧暦5月から8月にかけて年10回程度、江戸の将軍家に鮎鮨を献上した。
笠松から一宮へ荷を運んだ人足の名前が書かれている。
「天保13年5月鮎鮨御三荷継立帳」(表紙)
問屋場を経由する文書を書き写した文書。継ぎ立てのシステムが分かる。