上水道の沿革

 笠松町は清流木曽川畔に発達した町で地下水が良質豊富で、飲用に適する井戸が多くあったため、水道についてその必要性は論じられることもなかったが、終戦後の混乱を経て文化的、衛生的な生活の要望が強くなり、昭和30年1月町議会で上水道敷設の計画実施案が可決され、同年9月に敷設認可がおりました。
 第1次拡張事業では、笠松町地区に第1水源地の確保、井戸の掘削、ポンプの設置、配水管の敷設など、その経費は1億6,300万円にのぼる大事業でした。給水区域は、旧笠松地域、田代地域で昭和33年4月に給水開始し、翌年第2次拡張事業を完了しました。
 しかし、昭和40年代に入り、生活水準の向上とともに給水人口と給水量の大幅な伸びが予想され、昭和41年に第3次拡張事業として第2水源地を笠松地区に新設しました。次いで昭和48年には、1人1日最大給水量を500リットルと試算して翌年第3水源地を松枝地区に設けました。更に、昭和58年に第5次拡張事業として下羽栗地区に第4水源地を設けて、計画給水人口23,000人、計画1人1日最大給水量700リットル、計画1日最大給水量を16,100立方メートルとしました。
 簡易水道は、昭和32年から35年に米野・江川・無動寺・中野・円城寺・長池・北門間・中門間・北及が、おのおの水源地を確保して設置したが昭和55年からの第5次拡張工事とともに、昭和57年に江川・無動寺・中野・円城寺・長池・北及、昭和58年に米野・北門間・中門間を上水道に統合しました。
 宮地・西笠松・港町・柳原町は、昭和29年から32年にかけて簡易水道組合を発足させたが、昭和39年に港町、昭和48年に柳原町、昭和62年に西笠松、平成2年に宮地が上水道に統合されました。
 また高瀬・無動寺第1・中野団地・下柳川・下門間は、昭和32年から昭和38年にかけて飲料水供給施設を設けたが、昭和57年に下柳川、昭和58年に中野団地、昭和59年に高瀬、昭和62年に下門間がそれぞれ上水道に統合されました。

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